虚仮の一念/窮すれば通ず

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虚仮の一念/窮すれば通ず

斉須政雄<調理場という戦場>(朝日出版社2002 年6 月)P113〜P117 から
 
ぼくは、素材を料理することで、そのもの以上の価値を持たせたいのです。梅干としその葉のスープという料理があります。どちらもどこにでもある素材です。既に何度も使われ尽くされたかに見える組み合わせ……でも、アボカドとトマト水を加えて攪拌することによって、すばらしい付加価値を与えることができるのです。そこには「ぼくなりの発見」というひと仕事が入っているわけです。合わせて食べるとこんなおいしさになるんだよ、という問いかけをお皿に載せている毎日なのです。小さい頃、まだ何もなかった頃に、梅干とシソをタケノコの皮に三角に挟んで、中から湧き出る梅干の汁を、ジュースのようにして飲んでいました。それがぼくのおやつがわりだった。あれをスープにしたらどうなるだろう?
 
アスパラガスは、アスパラガスの性質とは相反するような異物を入れることによって、アスパラガスになる。「愛が最も気高く最も神聖な行為であるのは、愛がその中に愛ではないものまでも包み込んでいるからだ」という言葉がありますが、それは料理においても、その通りだなぁと思います。時折、試している最中に「絶妙の組み合わせ」に出会えるのは、もう、職業上の楽しみになっています。
 
全部把握はしていないけれども、野菜には必ず兄弟がいるんですよ。これとこれを組み合わせると、劇的に素材のよさが引き立つような……その兄弟どうしはまだ会っていないことが多いのですが、でも、どこかに必ずいる。仲人がぼくであるといいなぁと思います。信じられないような組み合わせを発見したい。そして時には、他人によって汚され尽くしたような平凡な組み合わせを、加熱や調理のタイミングを変えることによって、まったく新鮮な兄弟として再び出会わせてみたい。何かを組み合わせたり振りかけたりすることによって、別な新しい価値がまた生まれる。そこが料理のおもしろさを象徴するものであり、お客さんがあれをまた食べたいなと再び来てくださる原動力なのだと、ぼくとしては考えています。「 これとこれはつながるかな?」と試していることは、不思議なのですが、今までひとつもムダになっていません。実を結ばなかったアイデアは山ほどありますが、その死屍累々のアイデアのひとつひとつの点が、あとになって必ず線になってつながるんですよ。それがほんとうに不思議だし、うれしくもあります。だからこそ、毎日試していないといけないなぁと思っています。やりすぎくらいが当たり前でしょう。それを常識にしなければ、水準は守ることができない。だって、「これが究極の料理だ」というひとつの解答があるとは考えられませんから。
 
アイデアを思いついて、やってみて、過不足を反省する。間違えたことに気がついたら、もう一度やってみる。ノロノロトロトロとした道のりでも構わないから、とにかく前日とは違った組み合わせを試していきたいと思っています。何度も何度も試しては学んだ過程の中で養分を自然と吸い込んでいるので、いつか「あの時の失敗は、この発見につながるものだったのか!」ということが起きるかもしれない。点が線につながるのは、そういう時です。なんだろうなんだろうと思いながら何年も過ごしている中の発見は、とてもうれしいです。思いつくと「ああそんなことか」というか、睫毛は近くにありすぎて、ふだんは目に映っていないように……。
 
料理人としてのレースとか、レストランとしてのレースをやっていると、ぼくの性格からいうと毎日試す余裕がなくなってしまいます。勝った負けた、うまいまずいだけの勝負をしないようにしているのは、そういう理由からなのです。何だかわからないところからも、トロトロと養分を得ていたほうが、すてきな料理ができるような気がします。「旅をしてきたアイデア」とか「また会って懐かしいアイデア」とか。最初にそのアイデアの片鱗に触れた時よりも、ずいぶん立派になって戻ってきてくれる。
 
 
転生尋語 (その5) ─虚仮の一念/窮すれば通ず─
 
 
 
 
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