損して得とれ

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〈春夏冬〉はいい加減にドンブリ勘定で……。

斉須政雄<調理場という戦場>(朝日出版社2002 年6月)P231〜P234 より

 

いつもプレイヤーでありたいと願っていました。強くもなく、弱くもなく、料理以外には逸脱していない。そんな人になりたかった。従業員の中には、まだ実現する力はないまでもアイデアを出してくれる人がいます。スタッフも毎日さまざまなことを感じているのだし、ぼくとは違う視点でものごとを見ているのだから、日々、ヒントをくれる。ぼくは、そういった少しのヒントをもとに、アイデアの萌芽を具体的なかたちに紡いでいけるプレイヤーでありたかった。「自然体のプレイヤーであれば、そのすばらしさを持ったまま、小賢しくならずに突き進んでいけるのではないか?」と考えたのです。プレイヤーから逸れないということを基本にしながらも、経営が成り立つようなところまで行きたかった。
 
フランスのオーナーシェフというのは、みんなそうでした。行動も気持ちも、八割くらいはプレイヤーであり続ける。そこがすてきだった。料理長になったとたんに経営ばかり躍起になって、人が変わったようにプレイヤーの座を捨てることは、したくなかった。それは、夢を捨てることになるから。プレイヤーで押し通していきたいと思ったし、日本でぼくが店で働くことを助けてくれたオーナーが「斉須くんは、一生料理人ですね」と言ってくれたこともよく覚えています。
 
作り手でいることには飽きることはありません。なぜなら ……駆け出しの頃には、技術がないゆえにできない料理があった。財力がないゆえに使えなかった素材があった。ぼくは、それらを可能にしたいと思っていました。そういう意味では、今ぼくのいる環境は、「食材を手にして技術を手にして、極致にいる」と言えるかもしれません。あとは調理場を縦横に駆使することが夢なのです。今は、「お客さんに料理を出して営業して、利益をいただく」ということを、楽しくやらせてもらおうと思っています。
 
生産者と経営者と消費者の意識を把握しなければなりませんが、そうそう物事は思い通りにはならず、経営者としては非常にドンブリ勘定でやっています。綿密に経営したことはないです。遠い昔の日本人はそれで成り立っていたはずです。だからそれでやっていけるか、その生き方でゴールまで行けるのか、試してみたいと思っているんです。この生き方を声高に薦めるつもりはありませんが、自分で貫けるかどうかにはとても興味があります。
 
「料理人になってよかったなぁ」と思っていますし、東京でこういうレストランを経営していくというのは、非常に不安定な綱の上でバランスを取っているようなものですが、自分なりに渡りきって、向こうの岸まで行けたらいいと思うのです。ゴールにたどりつく時には、好きなことと嫌いなことを背中合わせにして、しかも、ぼくの中の、ふつうの人の部分、ふつうじゃない人の部分を噛み合わせて、ぜんぶ飲み込んでいけたらいいなぁと考えています。どちらか一方に偏ってしまえば、レストランというのは維持できないですから。
 
コート・ドールというお店については、東京都港区三田にあるレストランだという消費者の観点を持ちながら、しかしそこばかり経営的にあまり打って出ないように組み合わせてやっています。その噛み合わせが、いい結果を生んでいるのかもしれません。あまり打って出ない、しかもドンブリ的な経営は非効率なやり方でしょうけれども、今の社会風潮の中では、かえってそれが大切なポイントではないかと考えています。
 
効率とか利益だけで何もかもが行われる中で「こいつは馬鹿か利口かわからない」みたいなところでお店をやっていくのは、愉快でしょうがないんですね。もし最後までこれでやれるのならばやってやれ、というのが実際の気持ちです。経営者に馬鹿か利口かわからないような多面性があるとおもしろいですね。あるところは無防備で、あるところはすごく有能で触っただけで刺されるような部分も内蔵して…。そのバランスや抑揚がないと、たくさんの人と仕事をしていくことは無理でしょう。ただ馬鹿なだけでもだめですし、ただ有能なだけでもつまらない。子どもじみた経営者っていうんでしょうか、オトナになりきれないまま、何でもありで毎日やってる経営者のほうが元気だし、まわりをやる気にさせると思っています。
 
 
転生尋語 (その3) 損して得とれ80より
 
 
 
 
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